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浦安三社祭が8年ぶりに大復活‼︎マエダマエダ‼︎

浦安三社祭が8年ぶりに大復活‼︎マエダマエダ‼︎

コロナ禍の影響により延期が続いていた浦安三社祭
ついに今年2024年、8年ぶりに大復活しました!!
地元の方々にとっては長い間の足踏みから解放されて感慨ひとしお。
当ブログももちろん8年ぶりのレポート。
マエダマエダ!の躍動感を思い出しながら振り返ります。

6月15日(土)猫実渡御

前日の宵山から始まった浦安三社祭。
神輿渡御初日の6月15日は、朝の宮出しから始まり日没の頃まで神輿が町中を巡ります。

行徳寺のまち回遊展を後にして浦安へ到着した14時半。
ちょうど猫実の豊受神社宮神輿が境川西水門へ姿をみせたときでした。

マエダマエダ!の掛け声が聞こえてくるとともに迫り来る神輿。
豊受神社の宮神輿が境川沿いに現れました。
豊受神社西組が担ぐ塗りの浅子神輿。
8年間見ることのできなかった景色が眼前に。

休憩後神輿の担ぎ手が女性陣へとチェンジ。
鳴り物あり半被着用女性OKと、行徳担ぎとは明らかに異なる浦安の神輿渡御です。
新井や相之川といった南行徳の神輿渡御を彷彿とさせます。

東西線鉄橋下を通過し船宿集まるエリアに向かう宮神輿。
堤防沿いに掲げられた色とりどりの大漁旗が、神輿の賑やかさをより演出しているかのようです。
漁師町の名残が見られる浦安元町ならではの光景ですね。

船宿の吉野屋前に現れた豊受神社宮神輿。
観衆の歓声に負けず劣らずの勢いをみせる女神輿のパワーは圧巻です。

何がすごいかって、女性陣が数百kgもの神輿をもむ勇ましさ。
高らかな「さし」と最後の「ほうり」の瞬間までをぜひ動画でご確認ください。

神輿渡御初日は最後まで見届けることが叶わず。
翌日に他地区も含めて神輿を追いかけることにします。

6月16日(日)当代島渡御

翌16日も朝から三社の神輿が各地区を練り歩きました。
当ブログでは13時過ぎの浦安駅前からレポ開始です。

場所は浦安橋から浦安駅前バイパス裏への突き当たり、和菓子屋のさかえや前。
ここから東西線を越えてやなぎ通りに出るとあって、神輿が来るのを待ち構える観衆であふれかえっていました。

現れたのは唐破風型屋根が特徴の当代島稲荷神社宮神輿。
他の2社のように複数の宮神輿を持たずこの1基のみになります。
中央が盛り上がった唐破風型屋根の宮神輿は台輪寸法二尺八寸。
昭和12(1937)年後藤直光作の行徳神輿です。
豊受神社の神輿よりも少々小ぶりですが、三社の宮神輿の中では最も重いのだそう。

担ぎ手の周りを警察官や消防団員が囲んで誘導し、大勢の観衆が見守るカオスな状況。

間もなく神輿は浦安駅前を通過。
神輿を取り巻く熱気とは対照的に、立ち退き続きで閑散としているメトロセンターは時が止まったかのようです。
前回では想像もしなかった光景。

続いて女神輿も浦安駅前を通過。
赤褐色の屋根は宮神輿と同じく唐破風型ですが、ひと周り小さいサイズ。
宮神輿とは称されていませんが、稲荷神社の神輿庫に保管されているようです。

やなぎ通りを南下する稲荷神社の宮神輿。
歩道橋の下で揉み始めました。
観衆に背中を向ける担ぎ手と、その周りを何重にも取り囲む人波。
「地すり」ひとつとっても行徳とは異なる神輿文化があることを実感します。

浦安でも行徳同様神輿を揉みますが、「地すり」と「さし」の間に「もみ」という所作が加わります。
担ぎ手が神輿を向き「マワレ マワレ」の掛け声とともに一周する「地すり」の後、そのままの姿勢で跳ねながらまわる「もみ」、「さし」の後の「ほうり」は「ヨイヨイヨイ ヨイヨイヨイ」の掛け声に合わせ担ぎ棒を6回叩き3回空中にほうり受けます。
軽快なテンポと小刻みな動きが浦安揉みの特徴でもあり見どころですね。
その模様はTwitter(X)に載せた実況動画(「もみ」「さし」「ほうり」)をご覧ください。
(※Twitter(X)では「地すり」と書いてますが「もみ」が正しいです訂正します。)

三社の宮神輿だけでなく、総勢80基もの町内神輿が街中を巡るのが浦安三社祭の見どころのひとつ。
稲荷神社の宮神輿と女神輿に続き、当代島西組の神輿も行動を共にしています。
こちらも宮神輿に見劣りしない盛況ぶりです。

西友前を通過しバイパスへ向かう稲荷神社の宮神輿。
この辺り住所的には北栄になりますが、北栄は一部が当代島や猫実の氏子地域に含まれ、それぞれの渡御ルートにも反映されています。

6月16日(日)猫実渡御

続いては猫実の神輿渡御を見物。
前日に引き続き、またまた浦安西水門方面へ向かいました。
お囃子の山車に続いて豊受神社の宮神輿が近づきつつあります。
遠目からもよくわかる大移動の迫力。

予定より1時間ほど遅れた16時頃、浦安西水門を越えて船宿に現れた豊受神社の宮神輿。
前日に引き続き担ぎ手は西組でしたが、担ぐ宮神輿は白木造りの後藤神輿にチェンジ。
2基ある豊受神社の宮神輿はどちらも大正14(1925)年に製作された台輪寸法三尺の行徳神輿ですが、屋根紋が3つある塗りの神輿は浅子周慶作、屋根紋1つの白木の神輿が後藤直光作です。

浦安橋の下に到着した豊受神社の宮神輿。
6月にしては高温の2日目午後でありながら、勢い衰えることもなく渡御が続いています。

音がとても響きやすい橋の下。
日陰になるため観衆もたくさん。
担ぎ手に祭り関係者、そして観衆も一体になって高揚する様子をぜひ動画で。
壮観のひと言につきます。

豊受神社の宮神輿は東西線を越えてやなぎ通りへ。
東組が浅子周慶作の塗り神輿を担いでいます。

6月16日(日)堀江清瀧神社の宮入

8年ぶりの浦安三社祭もいよいよクライマックス、宮入りのときが徐々に近づいてきました。
今回の浦安三社祭ではまだ未確認だった堀江の神輿を見届けようと清瀧神社へ。
夏至直前の空は明るいですがもう18時、祭りのフィナーレが徐々に近づいています。
まだ神輿が現れていないので、先に神社で参拝を済ませるとにします。

最近Instagramで見かける神社の花手水舎。
ここ清瀧神社でもきれいに彩られていました。
近所の花屋さんからという粋な花手水奉納。

そうこうしているうちに神輿が清瀧神社に近づいてきました。
2基の宮神輿はどちらも後藤直光作の行徳神輿ですが、行徳では見かけない八棟(やつむね)造りの屋根が特徴。
塗りの宮神輿が先頭をきっています。

宮神輿は清瀧神社の鳥居前へ。
これからいよいよ宮入り開始でしょうか。

宮入りかと思いきや宮神輿は方向転換してフラワー通りへ突入。
フラワー通りに設けられた神酒所へ入ることをもって宮入りとするのだそうです。

しばしの攻防後、18時半を過ぎてまずは塗りの宮神輿が神酒所の中へ。

もう1基、白木造りの宮神輿も清瀧神社の鳥居前へ現れました。
神酒所に入るか阻止するかの攻防が繰り広げられ、ここからが宮入り最大の見どころになります。
祭り関係者の熱意と一挙一動を見守る観衆たち。
鳴り物とどよめきがうごめく中、激しい攻防の空気感はその場にいないと味わえません。

時刻は19時の少し前、ついに白木造りの宮神輿も宮入りしました。
8年ぶりの浦安三社祭、これにて神輿渡御は完了!!

宮入りを終えて日が沈んでも祭り屋台は活況でした。
おぱんちゅうさぎオンリーのクジ屋台というのが2024年らしさを感じますね。

令和によみがえった浦安三社祭の未来に思いをはせて

4年もの間延期が繰り返され、前回から8年経ってようやく実施された浦安三社祭。
8年の間に浦安魚市場閉鎖など浦安を取り巻く環境も変化し、お子さんや移住者など浦安三社祭を知らない方々にとっては初めての浦安三社祭になります。
令和の時代に引き継がれた浦安三社祭の伝統が、これからも末永く続きますように。

次回は4年後2028年、なんと令和2桁!
そのときは宵宮に行われるトラックでの神輿曳き廻しをぜひ見てみたいです。

レポの最後は、宮入り後に通りがかった庚申通りで夜空の中行われていた神輿渡御の写真にて。

浦安三社祭レポートはこちら :
2024年 2020年はコロナ禍により中止 2016年(その1:神輿渡御初日編) 2016年(その2:神輿渡御2日目編) 2016年市役所新庁舎完成記念合同神輿渡御 2012年 2008年

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