先日放映のアド街ック天国で第1位に選ばれたように、神輿の存在は行徳の街にとって重要なシンボルだといえます。
しかしながらコロナ禍では人々が集まり神輿を担ぐことが否定される形となってしまい、やむなく中止せざるを得ませんでした。
昨年四ヶ村例大祭が実施されたのは当時としては異例。
マスク着用での神輿渡御がまだ記憶に新しいところです。
それから3年、COVID-19が5類化されて次々と再開された祭りの数々。
ここ行徳地区でも前週の新井熊野神社祭礼を皮切りに続々と祭りの賑わいが戻ってきました。
そして延期が続いた五ヶ町の本祭もついに再開。待ってました!
今回の五ヶ町例大祭は10月14日の宵宮に続き、翌15日は午前4時の御霊入れをもって神輿渡御開始。
本行徳一丁目の神明社豊受太神宮を出発した神輿はいったん氏子外の下新宿に立ち寄った後、本行徳の一丁目から二丁目、三丁目、四丁目、本塩の順に渡御が行われ、最後に本塩豊受神社に宮入りします。
当ブログでは祭りの後半、四丁目渡御から宮入りまでをレポートします。
■雨の中四丁目を進む神輿
前日までの好天から一転、朝から大雨に見舞われた10月15日の日曜日。
午後には止むとの天気予報でしたが、13時の時点では本降りの雨が続いていました。
前回も本降りの雨だったんですよね。
なかなか天候に恵まれない五ヶ町の神輿渡御です。
わっしょい!行徳さんのTwitter実況によると雨天のためかなり前倒しで渡御が進んでいるとのことで、午前中にはもう四丁目まで引き渡されていました。
私が到着した13時頃は加藤家住宅に滞在中。
大粒の雨に神輿が濡れています。
午前中よりましとはいえ延々と降り続く雨。
担ぎ手の白装束や足袋もずぶ濡れです。
皆さんどうか風邪ひきませんように。
危険防止のため担ぎ棒には白い布が巻かれ、「地すり」の姿勢もほとんど腰を下げずに行っています。
それでも悪天候で担ぐ負担は相当なもの。
だからといって行徳もみそのものは簡略化されるわけではありません。
雨の中「ほうり受け」も行われています。
少し進んで笹屋うどん跡の前へ。
叩きつける雨の中、五ヶ町の大きな神輿をほうり受けるのは、どれだけ負担が増すのか想像もつかず、気が気でなりません。
本行徳と関ケ島の境、行徳ふれあい伝承館の前へ到着しました。
ここで神輿を白丁に引き渡し、神輿みちから本塩へと巡行することになります。
五ヶ町の神輿は大正13(1924)年に十四代浅子周慶により作られたもの。
台輪寸法五尺七寸、500kg近くもの重量があるといわれる、行徳最大(最重量の神輿は上妙典)の神輿です。
廃業した浅子神輿店の建物が継承された行徳ふれあい伝承館の前でもまれる神輿を見て、かつて現役稼働していた頃に想いを馳せたりいたしました。
今回初登場の台車。
コロナ禍で神輿を担がず台車やトラックに載せて渡御した地域があるとの話を聞いたことありますが、まさか神輿のまち行徳で台車が登場するとは全く予想せず。
午前中雨降りが酷かった時間帯に、一部で使用されていたようです。
行徳担ぎの掛け声は「わっしょい」ですが、四丁目のみ「おんらー」という独特の掛け声で神輿を担ぎます。
これ、「俺たちの神輿」という意味なのですね。
それでは動画で「おんらー」をお確かめください。
「さし」から「ほうり受け」の場面になります。
さてこれで神輿は行徳街道を後にして、最後の町本塩へ向かうのですが、簡単に引き渡さないと攻防が始まりました。
これも五ヶ町祭りの見どころのひとつ。
観衆も一緒になって盛り上がっています。
毎度のことながら一度で引き渡すはずがありません。
担ぎ手が担いだまま少しだけ後戻りしてからの前進。
それでもいつかは引き渡さなくてはなりません。
雨脚が少しだけ落ち着く中、神輿が白丁へと引き渡されました。
この時点で14時の少し前。
■神輿みちから本塩へ
台車に載せられた神輿を見たのは初めてのため、不思議な感覚を抱きました。
これも時代の変化なのでしょうね。
白丁とともに神輿みちを進む神輿。
本塩の住宅街から行徳神輿ミュージアムの前を通過します。
前回2017年のときはまだ建設中でしたから、開館後初めての光景になりますね。
■担ぎ手による本塩渡御
右折したところで白丁による渡御は終了。
ここからは再び担ぎ手たちによる渡御が始まります。
まだ14時半前と例年に比べかなり早い進行状況。
神事に向けて準備が行われています。
雨の心配がなくなり、ここで担ぎ棒の白布が取り外されました。
本塩へ引き継ぐにあたって行われる神事。
大勢の観衆に見守られながら粛々と進んでいきます。
運営からのアナウンスがあり、警察からの要請等により宮入りは17時40分厳守だそうです。
ここまでハイペースだったのは雨の影響だけではないのですね。
担ぎ手に引き渡された神輿渡御。
行徳もみも再開です。
中台製作所前まで引き返した神輿。
雨が止んで「地すり」の位置も低くなりました。
もむことを考慮して軽めに造られているとはいえ、こんな大きな神輿を地面すれすれまで下げるのは改めてすごいことだと思います。
民家の庭先に柿がたわわに実っていました。
ついこの間まで猛暑が続いていた気がしても、着実に秋は深まっているのですね。
雨上がりと宮入りの近いことが重なり、観衆の数も一段と増えてきました。
■五ヶ町祭りのクライマックス
15時半を過ぎた頃には青空が少し見えてきて、差し上げられた神輿がより映えるようになりました。
豊受神社前の道へと差し掛かりましたが、宮入りにはまだ早いとそのまま参道の門を通過します。
行徳街道に面していない本塩は、町内を周回するかのごとく巡行するルート。
道路の突き当たりでもんだら、あとは曲がるか引き返すか。
このときにもちょっとした押し合い攻防が見られます。
引き返して再び豊受神社前に近づいてきた神輿。
参道の門をくぐれば鳥居までは目と鼻の先。
この時点ではスムーズに越えています。
鳥居の前で行徳もみの披露。絵になります。
そろそろ17時になろうかという頃ですが、まだ空も明るいし宮入りする気配はありません。
一旦先回りして、神輿の様子を境内から眺めてみました。
こちら側にやってくるのはまだまだ先になりそうですね。
豊受神社の脇道には小規模ながらも露店が出そろっていました。
こちらもなかなかの盛況ぶり。
幾度となく鳥居を突破しようとするのですが、そう簡単に越えるわけがありません。
掛け声と観衆の叫び声とお囃子が混迷する臨場感を動画でどうぞ。
宮入りをためらう神輿の動きにも注目です。
そうこうしてるうちに刻々と近づく宮入りのとき。
鳥居を越えようとする神輿がいよいよ本当に入るのか。
皆固唾を呑んで見守っています。
終日大雨だった前回よりも1時間早い17時25分、ついに神輿が鳥居をくぐりました!
2回前の2014年当時は20時過ぎだったことを考えると、回を重ねるごとに宮入り時刻が早くなっています。
興奮と熱気冷めやらぬ境内で、宮入り後の行徳もみ。
青々としたイチョウの葉と照明の反射で輝く神輿が、ともに鮮やかです。
この後も五ヶ町の本祭りは続きます。
着輿の儀を終えたら、本行徳一丁目の神明社豊受太神宮への渡御が行われ、御霊抜きの儀式をもって終了となります。
■神輿のまち行徳が息を吹き返した
五ヶ町の神輿が町に繰り出すのを見たら、本格的に祭りの姿が元に戻ったことが実感できました。
まるで神輿のまちのアイデンティティを否定するかのようなコロナ禍。
長期化したら神輿を担ぐ伝統が途絶えてしまうのではと危機感抱いていたのですが、絶やすことなく復活できたのは感慨深いです。
各地で神輿担ぎやお囃子の響きが聴こえてくると心弾みますね。
次回は3年後の2026年を予定。
何の心配もなく無事開催されますように。