4年に一度行われる新井熊野神社例大祭。
本来ならば2020年に本祭の予定でしたが、新型コロナウイルスの影響により3年連続の延期。
コロナ禍が明けた2023年秋、7年ぶりに開催される運びとなりました。
新井の祭りは神輿渡御が土日の2日間にわたって行われるのが特徴。
宵宮は前日の金曜日に催されます。
また衣装や担ぎ方など、いわゆる行徳担ぎの祭りと異なる点が多々あります。
本格的に神輿担ぎが復活した今年の秋祭りシーズン、江戸前担ぎの新井から始まりました!
■南行徳駅前を神輿が巡る
神輿渡御初日の10月7日土曜日。
午前中新井3丁目を渡り歩いていた宮神輿は、昼休憩の後南行徳駅前に現れました。
駅前に神輿が来るのは初日のこの時だけになります。
駅前の歩行者天国で「地すり」を披露。
行徳担ぎとは逆向きの姿勢で神輿を囲みます。
団体ごとに異なる多彩な法被の背中がはっきりと視認できます。
晴天の空に高々と神輿を差し上げる「さし」。
新井や相之川で見られる神輿渡御の光景で、特筆すべきはこの賑やかさ。
鳴り物が響き渡る中、掛け声と手拍子打つ担ぎ手の方々見ると、こちらも元気出ます。
担ぎ手も周りの方々もみんなノリノリ。
楽しそうですよね。
交差点などで時折行徳もみの所作が行われるのは、行徳の他の町と変わりありません。
ここでは宮神輿も女性も交えての「ほうり受け」。
■新井に戻る宮神輿
神輿は南行徳駅前通りを越えて新井3丁目へ。
新井の宮神輿は台輪寸法二尺三寸と大きいほうではありませんが、担ぎ手の数が多いため六天棒で担ぎます。
神輿の周りにも法被姿の仲間が囲み大移動状態。
ここで自分はいったん離脱。
宮神輿はもうしばらく新井3丁目を渡り歩きます。
■新井の住宅街から行徳街道沿いへ
1時間弱の離脱を経て、宮神輿がバイパスを越えたあたりで復帰。
新井2丁目から1丁目へ、住宅街を進んでいきます。
宮神輿はローソン角の交差点で右折し行徳街道へ。
夕方の自然光を受けて輝く神輿がとても綺麗。
真横から見る鳳凰が前を向いて飛んでいるかのよう。
新井熊野神社までは目と鼻の先ですが、宮入するにはまだ早い時間帯です。
参道入口の門前を通過し行徳街道を練り歩き続けます。
バスとのすれ違いも行徳の祭りおなじみの光景ですね。
さてここでどのようにもんでいるのか動画で確認。
前述した通り「地すり」は背中を観衆に向けた前かがみの姿勢で行いますが、浦安のように飛び跳ねて神輿を揺らすことはせず、行徳もみと同様「マワレ」の合図とともに回転します。
「さし」を片手で行うのも行徳もみと同じ。
こちらは「さし」で回るところから「ほうり受け」。
浦安三社祭の動画と見比べると明白ですが、江戸前担ぎでありながら行徳もみが伝承されていることがよくわかります。
ここで新井の町会神輿も登場。
こちらも宮神輿と同様担ぎ手は男女混合です。
新井の町会神輿は昭和29(1954)年製造の後藤直光作。
一尺五寸と宮神輿より多少小ぶりですが、宮神輿よりも古くから担がれていた神輿です。
元々子供神輿でしたが、昨年担ぎ棒が新調され中神輿となりました。
宮神輿と町会神輿が向き合って。
女性も行徳もみを行っているのはほんと凄い。
「ほうり受け」も高々とこなしています。
行徳街道を進んだ宮神輿は、南行徳駅前通りとの交差点まで差し掛かり。
しかしここは新井と相之川の町境、これ以上の直進はストップがかかります。
横断歩道を渡りそうな雰囲気見せつつも折り返し。
何度か行徳街道を往復した後の一本締め。
この後は神輿がライトアップされ、宮入にむけての体制づくりが整えられます。
■いよいよ宮入
17時半近くにもなると空もかなり暗くなってきますね。
ライトアップされた神輿が薄暗い空に輝いています。
宮神輿は平成19(2007)年の中台祐信作と比較的新しいもの。
新井の祭りでは戦前まで神輿を担いでおらず、代わりに昭和30年代まで山車を曳いていたそうです。
そのような歴史的背景から、神輿を担ぐようになってからも長らくレンタル神輿を用いていました。
行徳の宮神輿では珍しい唐破風型の屋根が特徴です。
しばしの休憩を挟み神輿渡御再開。
17時半過ぎ、山車に続き宮神輿もあっさりと参道へ入りました。
もう少し参道入りを粘ると思っていたのですけどね。
鳥居前に到着した宮神輿。
ここでいったん歩みを止めて行徳もみを披露します。
それでもさほど粘らずに鳥居をくぐって宮入完了。
境内で行徳もみが行われるなど、しばしの粘りを見せつつも。
18時頃に神輿渡御初日が滞りなく完了しました。
お疲れ様でした!
■神社の内外を眺めてみたら
神社の外で並ぶいくつかの屋台。
コロナ禍前の祭りでは当たり前だった光景がようやく戻ってきたような、久しぶりの感覚を味わいました。
境内に並ぶ獅子頭は安政5(1858)年製作と古いもの。
昔はこの獅子頭を担ぎ村の家々を巡っていたというから、神輿が登場するはるか前から活躍していたのですね。
極小の子供神輿と未完成の神輿屋根。
どちらも初めて見るものですが、緻密な彫刻が施された後藤直光作の神輿屋根に圧倒されました。
プレートの電話番号(行徳二〇番という表示!)をみると相当古いものだったと思われます。
作人札の土台にまで彫刻があるとは、なんという凝った意匠。
■神輿は担がれてこそ
本格的な祭り再開元年となった今年。
この3年間のブランクを取り戻すかのように、各所で神輿渡御が行われています。
とくにこの週末は新井・上妙典・伊勢宿と3つの本祭が重なる結果に。
どの町も担ぎ手のやりくりにとても苦労されていますが、祭りの伝統が途切れなくて安堵しました。
これからも行徳が神輿のまちであり続けてほしいと願っています。