上妙典八幡神社の神輿は、行徳・妙典地区の神輿の中では異色の存在です。
まずは千貫神輿とよばれるその大きさ。
神様の乗り物である神輿の重さを測ってはいけないそうで推測ですが、千貫はおよそ3.75t。
台輪四尺とあって堂々の地区内最重量級神輿であることには間違いありません。
また製作者も行徳の神輿師ではなく、上妙典の宮大工である穴倉寅吉と穴倉徳太郎が手がけたもの。
神輿が重いことが良しとされた昭和初期に製作されました。
上妙典自慢の神輿であり、神輿渡御の際はさぞかし盛り上がったかと思われますが、サイズが大きいぶん担ぎ手の数も必要とするわけで。
時代の趨勢とともに担ぎ手の確保も難しくなったなどの理由で、平成5(1993)年からは表舞台に登場することもありませんでした。
しかし地元有志などの尽力により平成23(2011)年に復活。
その年はお披露目だけで街中での神輿渡御はなかったのですが(そのときの模様はこちら)、3年後の平成26(2014)年からは神輿渡御も復活。
3年に一度祭礼が行われることとなりました。
さて前置きが長くなりましたが、復活後二度目の神輿渡御は10月8日(日)に行われました。
狭い地区のため神輿渡御は午後から。
15時過ぎの上妙典を訪ねてみたところ、まだ宮入はせず渡御の最中でした。
上妙典八幡神社神輿の担ぎ棒は六天棒。
五ヶ町などの行徳神輿は二天棒を24人で担ぐのに対し、ここでは36人。
とはいえ地区際重量級の神輿ですから、天高く「さし」をするのもひと苦労。
大きな神輿が差し出される姿は壮観です。
「地すり」の労力も相当なものだと思われます。
この重量ではさすがに「ほうり受け」は行われないため、「地すり」の体勢から元に戻すのが見せ場。
無事体勢を戻したあかつきには、周囲から盛大な拍手が起こるほどです。
休憩時間の神輿に近づいてみました。
どっしりした形状の延屋根型漆塗神輿。貫禄があります。
素朴で質実剛健な印象の彫刻。
宮大工による製作ですが、装飾のみ後藤直光が手がけています。
同じ道を何度もいったりきたりしながら、渡御は続いていきます。
「地すり」の際足元がすべらぬよう、砂を撒いています。
妙行寺の前で「地すり」。
バスとの共存風景はこのお祭りでもありました。
但しここですれ違うのはわくわくバスこと市川市コミュニティバス。
宮入は16時半頃と聞いていたのですが、神輿は変わらず道をいったりきたり。
あっという間に遠ざかってしまいます。
神輿が離れた通りをかわりに盛り上げんとばかり活気づく、妙典囃子の音色とおかめひょっとこの舞。
ここで担ぎ棒だけが運ばれているのを発見。
これはどういうことなのでしょう?
え、二天棒になっている!
すごいすごい!!千貫神輿を二天棒でさしている!
長丁場で担ぎ手の体力も限界。
時折傾きそうになりながらもなんとか神輿を支えています。
二天棒は宮入への準備の表れ。神輿渡御も終盤です。
昔は二天棒でずっと担いでいたというから、昭和の男衆恐るべし。
…が、そう簡単に宮入させないのが神輿渡御のお約束。
遠ざかってしまいました。
何度もいったりきたりしながら戻ってきた神輿。
次こそは宮入できるのか?!
押して押して…入ったあーーー!!
結局17時を15分ほどまわってからの宮入となりました。
宮入後も続く神輿渡御。
二天棒のまま見事な「さし」を披露して
地面につきそうなぎりぎりの低さが絶妙な「地すり」
最後の力を振り絞って担ぎ直し。
ここで観衆から盛大の拍手が沸き起こりました。
お疲れ様でした!!
次回は2020年。3年後を楽しみにしています。
▼上妙典八幡神社祭礼レポートはこちら :
2023年 2017年 2011年
※2020年は中止・2014年は神輿渡御が行われましたが未取材。