浦安・行徳・妙典【東京湾岸情報】最新記事

浦安元町を歩いてみたら

浦安元町を歩いてみたら

前回は旧大塚家住宅・旧宇田川家住宅をとりあげました。
しかし元町とよばれるこの地区には、他にも見どころがたくさん。
そこで、旧家めぐりの途中に出会った場所を紹介したいと思います。

♪今回のルートMAP♪

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猫実の庚申塔

浦安駅から5分ほど歩いた角で、烏帽子姿の可愛らしいお猿さんを見つけました。
これは猫実の庚申塔というもので、正徳5(1715)年に猫実村の庚申講信者の手により建立されたものです。
庚申塔には、邪鬼を踏みつける青面金剛菩薩と、見ざる・聞かざる・言わざるの三猿が刻まれています。
浦安・猫実の庚申塔1浦安・猫実の庚申塔2
庚申信仰は中国の道教がルーツとされています。
人の体内にいる虫が60日に一度の庚申の夜抜け出し、神様にその人の罪を告げ口するのだそうです。
そんなことされたらたまりません。神様に寿命を縮められてしまいます。
そこで虫が抜け出さないように、庚申の日は夜通し呑み食いや話をして過ごしたといわれています(浦安ではこのような宴会が行われた記録がないそうですが)。
大正に入ってからは毎月25日が祭礼日と定められ、現在にも受け継がれています。
浦安名物「たまごフライ」が食べられるのもこの日だけ!
※庚申祭でたまごフライ買いました!そのときのレポートはこちら。(2008.3.25追記)

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記念橋

記念橋@浦安旧大塚家住宅に向かう途中、「記念橋」という変わった名前の橋を渡りました。
調べてみたら、大正天皇の即位を記念して命名されたものだとか。
もちろん浦安最初のコンクリート橋でもあります。

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旧大塚家住宅こちらの記事に記載しております。
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ギャラリーどんぐりころころ

ギャラリーどんぐりころころ@浦安フラワー通り商店街に出るため、旧大塚家住宅脇の細い路地を歩いていきます。
商店街に出てすぐ右手にあるのが、ギャラリーどんぐりころころ。
こちらでは年十数回にわたり、さまざまな工芸作家の個展などが開催されています。
その筆頭が
ツレがうつになりまして。等の著書でおなじみ細川貂々さん(地元在住)。

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旧宇田川家住宅こちらの記事に記載しております。
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旧濱野医院こちらの記事に記載しております。
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フラワー通り

浦安フラワー通り商店街漁師町だった頃は、この商店街が浦安一賑わっていたのでしょう。
町が装いを変えていくなか、ずいぶんとひっそりしたものになりました。

寅さん映画や「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に登場したことで、私も名前だけは知っていましたが、こんなに細い通りだとは思いませんでした。
しかし道路には地元の小学生による花の絵が描かれ、ほんわりとした気持ちになります。地元に愛される商店街なんですね。
昔ながらの商店や銭湯がいい味出してます。

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清瀧神社(せいりゅうじんじゃ)

清瀧神社1@浦安鎌倉時代に建立されたと伝えられるこの神社には、大海津見神(おおわたずみのかみ)という海の神様が祭られています。
ご利益は海路安全・漁業繁栄などの海事一切の守護、各産業の繁栄・家内安全など。
4年に一度(次回は今年2008年)行われる浦安三社祭は、清瀧神社と豊受神社・稲荷神社から神輿が出されます。
清瀧神社2@浦安拝殿の裏手にまわると、本殿や富士塚があります。
現在の本殿は、幕末期に建替えられたもの。
費用は村人達が少しずつ積み立てたそうで、当時の信仰の深さが偲ばれます。
龍の彫刻や浦島太郎などの浮き彫りが施されているそうですが、日陰で確認できませんでした(だから写真も暗いです)。
清瀧神社3@浦安名前の通り富士山を模した富士塚。高さ4.5mとなかなか立派です。
その昔、富士山は信仰の対象でもありました。
しかし日本の最高峰、気軽に登山というわけにもいきません。
そこで同様のご利益を得ようと、各地にこのような富士塚が造られたのです。
浦安では三社祭の神社すべてに富士塚が設けられています。
清瀧神社4@浦安神社といえばおみくじ!
一般的な紙のおみくじのほかに、扇子おみくじというのがありました。
小さいながらもしっかりした木の骨組み。
早速引いてみたら、末吉という微妙な結果でした。
あまりいいこと書いてないな・・・ということで木にくくります。
どうやって結ぶの?ご心配なく。ちゃんとチェーンがついてます。

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旧浦安町役場跡

これからは境川沿いを歩いていきます。

旧浦安町役場跡清瀧神社のすぐそば、新橋のたもとにこのような石碑がありました。
実はこの場所に旧浦安町役場が存在していたのです。
ここに役場があったのは、明治28(1895)年から昭和49(1974)年。ずいぶん長い間立地していたのですね。
役場がこの地から去る原因は、東西線開通による人口増のためだったといいます。
隣接して生えていた樹齢200年の大松も、戦中期の浦安橋開通により枯れてしまったそうです。
生活が豊かになり、周りの環境も激変していく。そして今の落ち着いた町へと移り変わるのです。


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境川

浦安らしい風景を挙げるとしたら、境川の眺めは外せないでしょうね。
境川2境川1
このあたりは六人河岸と呼ばれていました。
今はほんとに穏やかですけど、最盛期には2000艘の船でびっしりだったとか。
漁師町の面影がわずかに残る川辺を、東西線が疾走していきます。
新橋のモチーフもほのぼのしてますね。
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水門かいわい

境川と江戸川の合流地点にそびえ立つ水門。こちらも絵になる光景です。
浦安水門1浦安水門2
一本の桜が寒さに耐えています。やがて花開くときのために。
しかし私は寒くてもうだめ~とてもじゃないけど長時間いられません。
下から見る水門は、意外と迫力ありました。

浦安水門3コンクリート護岸に描かれた浦安MAP(写真クリックで拡大します)。
江戸川沿いのウォーキングも気持ち良さそうですね。
船宿吉野屋@浦安江戸川沿いには船宿が連なっています。
そのうちのひとつ吉野屋さんは、山本周五郎青べか物語に登場する船宿「千本」のモデルとなっています。

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焼蛤をおみやげに

ぶらぶら歩いて約2時間、浦安駅前に戻ってきました。
やはり締めは焼蛤でしょう。越後屋焼蛤店さんに寄り道してみます。
越後屋焼蛤店焼蛤と焼あさり@浦安名物
串を刺し、備長炭で焼き上げる。
熟練技を眺めつつ、自分の番を待ちます。
焼蛤と焼あさりを家族のお土産に。ビールのお供によさそうですね。
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