行徳の神輿制作を牽引していた浅子神輿店。
残念ながら平成19(2007)年に廃業し、その後は寺のまち回遊展などのイベント時に神輿の街行徳の歴史を伝える場として一時開放されていました。
平成22(2010)年に国登録有形文化財に指定され、現在建物を所有する市川市により常設化し一般公開する方針が伝えられてから時が経ち、延期を繰り返しながらもようやく開館の日を迎えることができました。
新たな行徳のランドマークとして登場した市川市行徳ふれあい伝承館。
開館日の7月21日(土)にはオープン記念イベントが催され、神輿渡御も行われたそうですが、残念ながらその日伺うことができず。
猛暑たけなわの8月に初訪問となりました。
市川市行徳ふれあい伝承館は展示スペースの旧浅子神輿店と、行徳街道を挟んだお向かいに新設された無料お休み処から成り立っています。
まずは旧浅子神輿店へ。
浅子神輿店は室町時代末期の創業といわれる行徳最古の神輿製作所(『浅子神輿』(浅子神輿店 出版年不明)による)。
応仁の乱の頃から代々浅子周慶を襲名し、500年もの間神輿製作に携わっていました。
平成初めに亡くなった十五代浅子周慶の跡を奥様が継ぎ、平成18(2006)年に亡くなるまで十六代浅子周慶の名を襲名し、女性初の神輿師として活躍。
しかし十七代が襲名されることはなく、平成19(2007)年に長い歴史の幕を閉じました。
浅子神輿店の店舗として使われた昭和4(1929)年築の切妻造桟瓦葺木造2階建の建物。
行徳街道に面して広く開口部が取られているのは、神輿製作の作業工程を道行く人々に見せるショールーム的な役割も兼ねていたことによります。
この奥には平屋建の居住棟も連なっています。
展示スペースとして公開されているのは1階部分。
中に足を踏み入れると、手前には間口いっぱいに設けられた土間と開放感のある板の間。
ここがかつて神輿を作っていた作業場となります。
展示物のジオラマ写真が撮影不可だった関係で板の間の全体像を写真で紹介できないのですが、2基の神輿越しにその雰囲気を感じ取ることができたら幸いです。
解説員の方曰く、白漆で塗装された神輿は珍しいとのこと。
赤い屋根や台輪に映える色使いが美しい。
神輿の最上部で堂々たる姿を見せる鳳凰。
胸を大きく突き出し、翼を真横に反らせて広げた姿は「浅子型鳳凰」とよばれ、宇治平等院の鳳凰を模した十五代浅子周慶考案のデザイン。
東京藝術大学で西洋彫刻を学んだ十五代浅子周慶ならではの作品です。
浅子神輿の特徴は「豪華にして秀麗、しかも堅牢抜群」だといわれています。
納入された神輿は判明しているだけで40点以上。
代表的なものに日本一の黄金神輿こと門前仲町の富岡八幡宮一の宮神輿が挙げられます。
バブル期の平成3(1991)年に完成した一の宮神輿は、台輪幅5尺(1m51cm)・高さ14尺5寸(4m39cm)・重量は約4.5tと圧倒的なサイズの屋根延金地塗神輿。
時代を反映してか鳳凰の目や胸などにダイヤモンドやルビーがふんだんに使われ、24kgもの純金で施された豪華絢爛な装飾。
巨大すぎて奉納時に渡御が行われたきり担がれていないというエピソードも持っています。
この神輿が奉納された際は江戸時代にならい、旧江戸川から東京湾に出て隅田川を渡ったという壮大な御船渡御が再現されました。
リアルタイムで御船渡御を見たかった!
なお同じく富岡八幡宮にある二の宮神輿も平成9(1997)年に完成した十六代浅子周慶作。
一の宮神輿に比べると少々小ぶりですが、それでも2tはあるというからなかなかの巨大神輿。
こちらも鳳凰の目はダイヤモンドという豪華版。
その奥は2間続きの和室からなる居住棟。
手前の和室は浅子神輿の製作資料や、池上本門寺から寄贈された金庫などが展示されています。
行徳神輿製作は「行徳千軒 寺百軒」の言葉が示すように、寺町行徳らしく神仏具の製作に端を発しています。
浅子周慶の名声も明治・大正期までは仏師として広まっていたものでした。
明治期に入り仏師も神輿製作に携わるようになり、浅子周慶も十三代が明治10(1877)年に南千住の素盞雄(すさのお)神社本社神輿を手がけたのを機に、明治から平成にかけ約一千基の神輿を世に出したといわれています。
仏師として、また神輿師として名声をとどろかせていた浅子周慶。
鬼子母神や池上本門寺宮殿屋根の下絵は、これだけでも芸術作品といえる完成度の高さ。
その精巧さに驚かされるばかりです。
奥の和室は行徳神輿と行徳「揉み」、五ヶ町祭りについての展示。
ここで行徳揉みでおなじみ白装束と白丁も登場。
行徳神輿の揉み手(担ぎ手)は手首の晒や白足袋も含めた白装束着用が必須。
では隣にいる着物の上に白衣をまとった白丁はどのような役割なのか。
この姿は平安時代の下級官人が着用した公服を発祥とし、現在の神事においては神輿を担いだり山車を引く人が着用しています。
本行徳の五ヶ町渡御では、白丁は着物の上に白衣を着用し、紙製の黒い烏帽子(本行徳三丁目は旧来の烏帽子)を背中に掛け、白足袋姿で神輿に巡行する人のことを指します。
次の町内へ渡す際には、一旦神輿を揉み手から離し白丁によって行われるのが決め事。
白丁は神官の仕丁として神輿を担ぐ重要な役割を負っているのです。
ここで五ヶ町例大祭について説明員の方から詳しい説明がありました。
とはいえ長年このお祭りに関わってきた地元のご長老、行徳揉みが他の地区に比べてどれだけ特別なものか、また行徳神輿もどれだけ凄いものなのか、熱い思いを切々と語られたのでした。
五ヶ町例大祭の本祭は3年に一度、深夜の御霊遷式から宮入まで、五ヶ村とよばれる本社神輿が一日がかりで各町へと受け継がれる神事。
神輿渡御ルート上の大半に屋台が並ぶわけでもなく、観衆は揉み手の周りで見守るしかなく、ストイックであるがゆえに祭りとしては地味ではあります(私個人の感想です)。
ご長老いわく、五ヶ町祭りは見るよりも参加するほうが楽しいとのこと。
だからこそぜひ揉み手として参加してほしいそうです。
五ヶ町祭りだけでなく毎年秋には行徳のどこかで神輿渡御が行われます。
男性の方、行徳神輿の揉み手として祭りに参加してみませんか?!
お向かいの旧浅子神輿店工場跡地には無料お休み処が新設されました。
駐車場やトイレもこちらになります。
中に入るとテーブル席があり、和風喫茶のようなスタイル。
今のところ給水機しかなくカフェとしての機能は持っていないようですが、将来的には飲食物を提供する計画もあるそうです。
※2018.10.09追記:お休み処にて飲食物の提供始まりました。ギャラリーも兼ねています。レポはこの記事の最後にて。
オープニングイベントではここで塩作り体験などが催されたもよう。
ベッドタウン化が進んだ行徳では、寺社の集積とともに神輿製作が発展し街道と水運で栄えた街の歴史に触れる機会が意外と多くありません。
中台製作所が手がけた行徳神輿ミュージアムに引き続き、神輿の街行徳を伝える歴史文化拠点が誕生したのは誠に喜ばしいかぎり。
地元の方だけでなく、さまざまな方々が行徳の街に興味を持っていただけると嬉しいですね。
ちなみに今回の訪問にあわせ神輿の街行徳をまちたんけんしてきましたので、レポのほうもぜひご覧くださいませ。
※2018.10.09追記:お食事処兼ギャラリーになったお休み処へ行ってきました。
期間ごとに入れ替わる作品(このときは行徳や祭りにちなんだ切絵)展示のほかに、地元にまつわる出版物や駄菓子などが並んでいました。
なお壁際のボカシは撮影禁止のジオラマ。ぜひ現地で実物ご覧になってください。
飲食ラインナップはコーヒーや甘酒などの飲み物にかき氷や和風甘味、焼きおにぎりや肉まんのセットなど。
なかでも名物になりそうなのが伝承館うどん。
透き通った出汁に甘いお揚げの関西風。有料ですが卵の追加も可能です。
休憩所は10:00から17:00まで利用できますが、お食事処は11:00から16:30までの営業です(月曜定休・月曜が祝日の場合は翌火曜日休)。
市川市行徳ふれあい伝承館
市川市本行徳35-7
TEL:047-314-8177
10:00-17:00
月曜(祝日の場合翌平日に振替)・年末年始(12/28-1/4)休
※旧浅子神輿店展示のうち、ジオラマと金庫は撮影不可となります。
※休憩所も同じ営業時間ですが、お食事処は11:00-16:30までの営業となります。