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五ヶ町例大祭|行徳最大の宮神輿がまちを巡る、秋晴れの本祭り【2026年】

五ヶ町例大祭|行徳最大の宮神輿がまちを巡る、秋晴れの本祭り【2026年】

3年おきに行われる五ヶ町例大祭の本祭り。
大荒れの天候だった前回とはうって変わり、爽やかな秋晴れの下で宮神輿がまちを行く光景は感慨深いものがありました。
未明の神事から始まる長い一日のうち、午前中の渡御から宮入りまでの様子をお伝えします。

■二丁目に引き継がれた宮神輿

連休ど真ん中10月11日。
丑三つ時の午前3時から本祭りは始まっています。
午前4時からの御霊入れが行われた後、宮神輿は本行徳一丁目の神明社豊受太神宮を出発し、いったん下新宿稲荷神社にご挨拶してから、本行徳一~四丁目と本塩を渡り歩きます。
訪れた朝8時半過ぎには既に行徳一丁目の渡御が終了し、宮神輿を二丁目へ引き継ぐ神事が行われていました。

引き継がれた宮神輿は二丁目の担ぎ手によってもまれます。
地面ぎりぎりまで担ぎ棒を下げる「地すり」。
行徳最大の五ヶ町宮神輿を24人の男性がもみ続けます。

しばらく行徳街道を練り歩いた後、宮神輿は消防署出張所裏の行徳児童公園へ。
恥ずかしながら私、この場所に公園があることをこのとき初めて知りました。
芝生の上で白装束姿がよく映えますね。

神社のない二丁目では祭礼のために神酒所が設けられ、二丁目の子供神輿や重厚な彫刻が飾られていました。

神輿の休憩中も祭りを盛り上げる妙典・本塩の両囃子保存会の方々。
ひょっとことおかめの愛嬌のある動きはいつまでも見続けたくなります。

休憩を終えて前進する宮神輿。
「さし」をアップで撮影してみると、神輿の大きさに改めて圧倒されました。
さすが台輪寸法五尺七寸を誇るだけあります。
胴体に比べ屋根と台輪が大きいことが、この写真からもはっきりとわかります。

宮神輿は二丁目から三丁目へと引き継ぎ。
がしかし、すんなり引き渡さないのがお約束です。
迂回しようとする動きの激しさも見どころのひとつ。

間もなく宮神輿は二丁目の渡御を終えました。
各町の境界を越えるときは白丁によって担がれます。

三丁目に達した宮神輿。

担ぎ手へと引き継ぐ前に、神輿渡しの神事が行われます。
ちょうど田中市長も来訪し、観衆とともに神事を見届けました。

無事三丁目に引き継がれて、担ぎ手へとバトンタッチ。
「ほうり受け」も高らかに、宮神輿は三丁目を巡行します。

ところで現在の住居表示にない本行徳一~四丁目はどこを示すのか?
行徳街道沿いだと一丁目は神明社豊受太神宮から南消防署行徳出張所付近まで、
二丁目は天理教行徳分教会付近まで、
三丁目は本行徳八幡神社を過ぎて神明社手前まで、
四丁目は市川市行徳ふれあい伝承館(旧浅子神輿店)までの各200m前後の範囲に該当します。
下新宿まで立ち寄るとはいえそれほど長い距離ではないですが、宮神輿はこれら4つの町と本塩を一日かけて巡行します。

■三丁目を進む宮神輿

11時過ぎに引き継がれた宮神輿は三丁目を巡行。
行徳一の大きさを誇る宮神輿はもむ様子も迫力満点。
そのぶん担ぎ手の負担は大きく、ときに宮神輿ごとよろけそうになることも。

行徳の祭り名物(?)バス通過のため一時中断を余儀なくされる神輿渡御。
バスにとってもきりの良いところまで待機せざるを得ない場合もあり(とくにもみや神事の最中)、年に何度もないとはいえお互い様の譲り合いです。

行徳三丁目バス停のお隣宅はハロウィンの装い。
祭り提灯と共存する現代日本的な光景です。

そのさらにお隣の田中邸では軒先が開放され、少しだけ中の様子をうかがうことができました。
板の間に掲げられた屏風の美しさにうっとりしてしまいます。

本行徳八幡神社の入口に飾られていた三丁目の子供神輿と山車。
三丁目では前日の10日に子供神輿の渡御が行われたそうです。

本行徳八幡神社前へ到達した宮神輿。
快晴の空にむけての「ほうり受け」は見ていても気持ちいいものですね。

本行徳八幡神社の境内で高く突き上げる「さし」。
土砂降りで前倒しの渡御となった前回をリベンジするかのような、絶好のお祭り日和でなにより。

正午近くなったところでいったん離脱。

■行徳の歴史が凝縮された四丁目

2時間後に行徳街道へ戻ったときにはもう四丁目の渡御。
加藤家住宅の前でもみを行っているところでした。
ここ加藤家住宅や笹屋うどん跡など、行徳の歴史を象徴する建物が点在する四丁目。
明治後期に建てられた塩問屋の住居とフランス積みの煉瓦塀が並ぶ加藤家住宅(国登録有形文化財)。
製塩業が栄えた行徳の歴史を象徴する建物です。

源頼朝伝説が残る笹屋うどん跡は、多くの旅人が行き交った行徳の繁栄を伝える建物。
ペリー2度目の黒船来航があった嘉永7(1854)年築の建物脇を、令和のいま神輿が通り過ぎてゆきます。

宮神輿は行徳街道から少し外れて常夜灯へ。

行徳街道に戻り、市川市行徳ふれあい伝承館(旧浅子神輿店)前でもみ。
本行徳はここが境界、隣の畳店からは関ヶ島に入るため、四丁目の神輿渡御はここまでとなります。

四丁目の渡御では独自の「おんら」という掛け声で渡御が行われます。
掛け声ひとつでずいぶんと印象が変わってくるものです。
なじみ深い「わっしょい」との違いを、Xポストの動画でどうぞ(インスタストーリー用に縦動画で録画しています)。

宮神輿の引き渡しを惜しむかのように、笹屋うどん跡との間を何度も行ったり来たり。

とはいえスケジュールとの兼ね合いもあり。
15時過ぎてついに白丁へと引き渡されました。

■みこし道を通って本塩へ

白丁に引き継がれた宮神輿。
市川市行徳ふれあい伝承館(旧浅子神輿店)から行徳バイパス方面へ通ずるみこし道を進みます。

白丁が担いでいる間もみは行われず、「わっしょい」の掛け声とともに本塩の住宅街を巡行する荘厳な光景です。
正確には担いでいるのではなく台車に載せて運んでいるのですが、前回初登場した台車はコロナ禍を経た後も部分的に活用されることとなったようです。

白丁による巡行は中台製作所を過ぎた先の住宅街まで。
担ぎ手に引き継いだ後は本塩の渡御が始まります。

本塩の掲示板は五ヶ町例大祭の広告一色。
AIポスターと子供たちによる手作りのポスターが並んでいるのは、今しか見ることのできないものかもしれません。

■最後の町本塩で神輿渡御

宮神輿の渡御はいよいよ最後の町本塩へ。
宮入りにむけ宮神輿のメンテナンスが行われました。

メンテナンスを終えラストスパートへの準備万端。
予定時刻より少し早く、16時前には引き渡しの神事が行われました。

ここからは宮入りまで休憩なしのノンストップ。
担ぎ手の方々もより気合い入っているように感じられます。

宮入りする本塩豊受神社まではあと少しですが、近づくにはまだ早いとばかり、本塩の町内を行ったり来たりしています。
徐々に観衆も増えて撮影するのもひと苦労。

17時近くなり徐々に赤みを帯び始めた空。
誰もが宮入りを意識しつつも、本塩巡行の本番はこれからといったところ。
まだもっと見続けていたい「ほうり受け」。

本塩豊受神社までは目と鼻の先。
御祭禮の看板を掲げた門をくぐったかと思いきや、あっさりと引き返してしまいました。
宮入りはもうしばらくお預けです。

宮入りのときを待つ本塩豊受神社。
参拝の方々もちらほら見受けられます。

神社前でひっそりと展示されていた本塩の子供神輿。
昭和30年代に町内の方が製作された手作り感がいい味出しています。
長年休眠されていたものが今年修復され、前日10日の子供神輿渡御で使用されました。

大勢の観衆が待ち受ける本塩豊受神社の前でもみ。
さあこれからいよいよ宮入り。
じれったくも熱狂的な時間がやってきますよ!

■神輿渡御の華、宮入りにむけて

もう少しで18時になろうかという頃。
空はすっかり暗くなりました。
本塩豊受神社前に担ぎ手たちが集結し、もみの様子を見守っています。

夜も更けたしそろそろかと見せかけて引き返すのも宮入り前の常。
参道の門をあっさりと通り抜けてしまいました。

境内から宮入りの瞬間を見届けておりました。
世話人の方々も鳥居越しに待ち構えています。
宮神輿が鳥居をくぐろうとするたび拒まれ、そのたびに鳥居前でもみを見せての繰り返し。

「わっしょい」の掛け声と関係者や観衆の叫び声、掻き立てるようなお囃子の音色。
宮入り寸前の緊迫した空気感はその場にいなければ味わうことができません。
激しい攻防の模様はこちらの動画でどうぞ。

しばしの試みを経た18時35分頃、ついに宮神輿が鳥居の中へ入りました。
これにて宮入り完了。

興奮冷めやらぬ中、最後のもみを披露。
この後は御霊返しの神事が行われ、宮神輿が神明社豊受太神宮へと帰されます。
お疲れ様でした!

■好天に恵まれた本祭りのありがたさ

前日の宵宮含め、絶好のお祭り日和だった今回の五ヶ町例大祭。
当ブログでは2008年からレポしていますが、意外にも一日中好天に恵まれたことはなかったと記憶しています。
特にコロナ禍明け直後の前回2023年は大雨の中での神輿渡御。
さまざまな制約が課された前回のリベンジを、青空の下で果たせたのではと思います。
次回は3年後の2029年、もう令和も2桁ですね。
また晴天に恵まれて盛り上がることを願っています。

▼五ヶ町例大祭レポートはこちら :
2026年本祭 2023年本祭 2017年本祭 2014年本祭 2011年本祭 2008年本祭

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