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【行徳・南行徳 市川市と共に歩んで70年 記念講演会】開催レポート|歴史は塩づくりとともに

【行徳・南行徳 市川市と共に歩んで70年 記念講演会】開催レポート|歴史は塩づくりとともに

行徳町が市川市と合併したのは1955(昭和30)年。
翌1956(昭和31)年には南行徳町も市川市の仲間入りしました。
それから70年の時を経て、製塩の地からベッドタウンへと変貌していった行徳・南行徳。
地域の魅力と未来を考えるべく開催された「行徳・南行徳 市川市と共に歩んで70年記念講演会」。
激変した町の歴史を振り返るとともに、地域の未来についても思いを馳せることのできるとても良い機会となりました。

ちなみに行徳町と南行徳町の範囲はどの辺りだったかご存知ですか?
現在の感覚だと不思議かもしれませんが、行徳町と南行徳町の境界線は現在の末広と行徳駅前の境界だったのです。
ということは、行徳駅は南行徳町の町域だったということですね。
行徳町が誕生した1889(明治22)年は江戸川放水路の開削前とあって、現在の原木や高谷、田尻なども町域に含まれていたのです。

合併70周年のセレモニーが華やかに

1月23日金曜日の夕方。
平日にも関わらず、会場の行徳文化センターI&Iはあふれんばかりの人の数。
先着400名限定とのことで、ホール内は満席御礼でした。

ホールでは末広太鼓による呼び込み太鼓が披露され、70周年のお祝いに華を添えていました。

開会して間もなく流れた映像①『行徳・南行徳が市川市と共に歩んだ70年』。
動画撮影不可により文章だけの説明ですが、行徳の歴史と現在をわかりやすくまとめた内容でした。
製塩を基盤に発展した行徳のまちづくり、製塩業の壊滅後東西線開通とともにベッドタウンへと大変貌した戦後の行徳、さらには今も残る豊かな海の自然。
交通至便で生活便利な子育てしやすい環境。
さまざまな要素がクロスした行徳地区は、ただのベッドタウンではありません。
市内の他地区含め広くアピールできると良いなと思いました。
定期的にSNSでバズる東西線建設工事中の行徳風景写真も登場しましたよ!

(※この写真は以前地下鉄博物館の展示で撮影したものです。写真撮影可でしたので。)

田中甲市長による開会の挨拶。
市川市との合併時、旧行徳町の人口は約12600人、旧南行徳町は約7500人。
それが70年後の現在は17万人と10倍にも増えたというから驚きです。
当時の浮谷竹次郎市長の願い通り、行徳町・南行徳町との合併により市川市は海を持つことができるようになり、京葉工業地域の一画を担う現在の市川市へと変化したのです。
今回の講演会は、今後ますます発展する可能性のある行徳地区を皆で確認する機会とのお言葉で〆。
この後いよいよ講演と座談会が始まります。

地域の財産である三番瀬と干潟再生のお話

第一部はNPO法人三番瀬フォーラム理事長の安達宏之さんによる講演「三番瀬の再生と海辺の街づくり」。
大都市近郊でありながら豊かな自然環境が残る三番瀬は地域の財産。
干潟や浅瀬は生き物のゆりかごとして大きな役割を担っています。
昔は浦安沖まで干潟が広がっていましたが、地盤沈下の影響か1970年代あたりから干潟が減少したことで、護岸近くで急深となりその先に浅瀬という歪な状態に変貌してしまいました。
年数回発生する青潮により棲息する貝の数も激減し、いまや被害すら起きない状態に陥っているほどです。
そのため自然環境保全のための干潟再生が千葉県により計画されるようになりました。
また住民が地域の自然に関心を抱いてもらうべく、行徳漁港朝市いちかわ三番瀬まつりといったイベント、海苔すき体験やハス田づくりといった学校授業への協力などさまざまな活動が行われています。

◾️日本一の吹奏楽部が奏でる音色

続いて市川市立第七中学校吹奏楽部の演奏。
昨秋開催された第31回日本管楽合奏コンテスト全国大会において、最優秀グランプリ・文部科学大臣賞を受賞した演奏は、中学生とは思えない完成度の高さ。
マツケンサンバや倍倍FIGHT!の軽快なパフォーマンスで場を温めた後は、ふるさとの演奏歌唱でしんみりと。
しかし部員の皆さん、卒業生前田敦子さんのAKBデビュー当時にはまだ生まれていなかったのですよね。
時の流れをしみじみ感じた瞬間でもありました。

行徳の繁栄を築いた塩づくりと復活の試み

続いての映像は②『塩づくりと「行徳の塩」について』。
こちらも撮影不可でしたので文章のみで簡単に。
『下総行徳塩業史』には「凡そ一千有余年前」と記載されている行徳での塩づくりの始まり。
既に戦国時代には江戸湾岸における最大の塩づくりの地ではありましたが、大きな変化がみられたのは徳川家康による行徳製塩業の保護政策。
天領となった行徳から江戸城へ塩を運ぶため開削された運河が現存し、行徳河岸と呼ばれた船着場の跡も確認することができます。
繁栄した行徳の製塩業も大正時代の甚大な高潮被害などにより衰退し、戦後まもなくその長い歴史に幕を閉じました。

ベッドタウンとして変貌した現在の行徳で、塩づくりの復活が試みられています。
その一環として今回の講演会参加者に配られた行徳の塩。
試作品につき食べられませんが、いつか実用化できるといいですね。
映像でも行徳での製塩業復活にむけての活動が紹介されていました。
当ブログでも昨年10月のいちかわ三番瀬まつりでの塩づくり体験レポを書いていますので、そちらもぜひご覧ください。

行徳の変貌をリアルで聞けた記念座談会

第二部は記念座談会「行徳・南行徳の『これまで』と『これから』」。
行徳の歴史の生き証人といえる錚々たる方々と田中甲市長による濃厚な行徳・南行徳話を聞くことができました。
打ち合わせなしでのぶっつけ本番とあって、つもる話が止まらなくなったり時には脱線したり。
合併前後から現在に至るまでの有意義なお話を聞くことができました。
以下一部書き起こしできたものを。

田中愛子さんからは合併前の行徳のお話。
畦道歩いて海まで行ったことや、夏は畦道が塩分により白くなりしょっぱかった思い出。
また生まれ育ちが行徳のため、皆さんが故郷を出て行徳に住んでくれたのが嬉しいとの談。
他県から行徳移住した自分としてはたいへん嬉しいお言葉です。
行徳町・南行徳町の中で市川市への合併賛成派と反対派に分かれ対立したことについては、noteの過去記事ご参照ください。

行徳の歴史本を何冊も出版している鈴木和明さんの行徳話は、尽きることなく無限大。
戦後地盤沈下により耕作ができなくなった農民たちは、区画整理により農地を売却し、ベッドタウン化したことで食べていけるようになったとのこと。
そのうち2割ほどの土地が市川市に寄贈され公共施設が建てられ、行徳文化センターI&Iや市川七中もその一部。
「昔の行徳民は教育はないが教養はあった」そうです。
現在の住宅地も3m掘ると貝殻や塩田跡が出てくるという、製塩の地からの変遷を物語るエピソードも語っていました。

田中甲市長からは行徳地区の現在とこれからについてのお話。
昨年環境省から脱炭素先行地域に選定された妙典。
最近全国的に社会問題化している外国人との共生については、ルール作りもだが互いの交流も大事とのご意見でした。
そして押切・湊橋とその後の未来に向けての大きな夢(ここでは伏せます)発言。
行徳地区がより住みやすい町になるよう期待しています!

歴史と自然に恵まれた暮らしやすい町の未来へ

神輿のまち行徳は元々製塩業により繁栄した地域。
今回の記念講演会は、三番瀬自然と海の恵みがもたらす塩づくりを軸にした内容でした。
合併により海のある自治体となった市川市にとって大きな意味を持つテーマですね。

押切・湊橋の開通や江戸川水閘門架け替えなど、新たな局面を見せるであろうこれからの行徳・南行徳。
80年、90年、100年と経過するにつれて暮らしやすい町としての進化を期待するとともに、市内外の他地域からより多くの人が訪れて住んでみたくなる町になればと願っています。

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